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2009年08月29日
湯浅誠さんの学習会 9/5
高松市男女共同参画センタ-市民企画講座 仕事とくらしを考えるセミナ-(第1回)
「“元派遣村村長”湯浅誠が語る貧困問題」
〔講師〕湯浅 誠さん(反貧困ネットワ-ク事務局長)
【日時】 2009年9月5日(土) 18:30~21:00
【場所】 高松市男女共同参画センタ- 5階 第8会議室
○参加費200円(資料代)
〔主催〕二五の会(にんごのかい)・高松市男女共同参画センター
〔企画〕二五の会
格差と貧困が拡がる中、昨年末からの年越し派遣村の取り組みは貧困問題を私達の目の前に見える形にし、国の施策を変えるなど大きな役割を果たしました。
私達「二五の会」は2004年に発足し、生活に困っている人達、野宿生活を余儀なくされている人達への支援活動に取り組んできました。
野宿生活者支援に取り組み、ネットカフェ難民や日雇い派遣労働の問題についても積極的に発言し行動されている派遣村村長湯浅誠氏のお話しを伺い、日本の抱えている貧困問題について、どのように向き合ったらいいのかを考える機会にしたいと思います。
〔申込み・問合せ先〕
二五の会(岩崎)(TEL 087-843-3954 )
高松市男女共同参画センタ-(TEL 087-821-2611)
(申込み受付は8月20日から)
★定員78名となっています。
「“元派遣村村長”湯浅誠が語る貧困問題」
〔講師〕湯浅 誠さん(反貧困ネットワ-ク事務局長)
【日時】 2009年9月5日(土) 18:30~21:00
【場所】 高松市男女共同参画センタ- 5階 第8会議室
○参加費200円(資料代)
〔主催〕二五の会(にんごのかい)・高松市男女共同参画センター
〔企画〕二五の会
格差と貧困が拡がる中、昨年末からの年越し派遣村の取り組みは貧困問題を私達の目の前に見える形にし、国の施策を変えるなど大きな役割を果たしました。
私達「二五の会」は2004年に発足し、生活に困っている人達、野宿生活を余儀なくされている人達への支援活動に取り組んできました。
野宿生活者支援に取り組み、ネットカフェ難民や日雇い派遣労働の問題についても積極的に発言し行動されている派遣村村長湯浅誠氏のお話しを伺い、日本の抱えている貧困問題について、どのように向き合ったらいいのかを考える機会にしたいと思います。
〔申込み・問合せ先〕
二五の会(岩崎)(TEL 087-843-3954 )
高松市男女共同参画センタ-(TEL 087-821-2611)
(申込み受付は8月20日から)
★定員78名となっています。
タグ :憲法二十五条
Posted by 馬占山(Ma Zhanshan) at
00:12
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2009年08月20日
里海画報~アカテガニ放仔 09/8/7・8夜
真夏の大潮の満潮時、アカテガニが山から降りて来て♀のお腹いっぱいになった幼生を波打ち際で放仔する行動が見られます。


前回は8/6~8の夜に見られましたが、次回は8/21~23の夜にも見られそうです。
不法投棄現場北海岸の波打ち際でも、8/6・7の深夜、沢山のアカテガニが波打ち際に並んで放仔していて、またそのすぐ上のハマゴウなどの茂みの中では♂♀がくっついて交接もしていました。


動画記録にも挑戦してみましたが、暗すぎてイマイチ見にくいものになってしまいました。
http://peevee.tv/v?5rn831
次回はアカテガニに警戒されないような照明も工夫して撮ってみたいです。


前回は8/6~8の夜に見られましたが、次回は8/21~23の夜にも見られそうです。
不法投棄現場北海岸の波打ち際でも、8/6・7の深夜、沢山のアカテガニが波打ち際に並んで放仔していて、またそのすぐ上のハマゴウなどの茂みの中では♂♀がくっついて交接もしていました。


動画記録にも挑戦してみましたが、暗すぎてイマイチ見にくいものになってしまいました。
http://peevee.tv/v?5rn831
次回はアカテガニに警戒されないような照明も工夫して撮ってみたいです。
2009年08月18日
里海画報~犬島時間 09/8/1~9
岡山市犬島であった「犬島時間」で「豊島のトランク」を展示してきました。

無人島ツアーのガイドも担当していて、犬島貝塚や沖鼓島などに上陸し、日頃見られない遺跡の自然や海からの精錬所などの風景を愉しんでいただきました。



動画:http://peevee.tv/v?5s5vbf
動画:http://peevee.tv/v?5s5pfa
沖鼓島で拾ったクマー!を連れて帰り、企画展や無人島ツアーの看板として働いてもらいました。
朝日学区の児童達にはトテモ好評だったようです。



無人島ツアーのガイドも担当していて、犬島貝塚や沖鼓島などに上陸し、日頃見られない遺跡の自然や海からの精錬所などの風景を愉しんでいただきました。



動画:http://peevee.tv/v?5s5vbf
動画:http://peevee.tv/v?5s5pfa
沖鼓島で拾ったクマー!を連れて帰り、企画展や無人島ツアーの看板として働いてもらいました。
朝日学区の児童達にはトテモ好評だったようです。



2009年08月15日
2009年08月15日
2009年08月15日
2009年08月06日
里海映画レビュー~「夕凪の街 桜の国」(佐々部清監督)
【自分も確かにこの街を見ていた】
2005年夏頃にこの映画の原作を本屋で見つけて読むごとに中に引き込まれて、未だに「中毒」症状のままです。
映画化進行中に、多くのファンから「本当に原作の雰囲気を壊さずちゃんと映画化できるんだろうか?」といった声が原作者のこうの史代のファンページ掲示板などで言われ、自分も少々不安になっていました。
2006年に監督やキャストが発表され、夏から撮影が広島と関東で進められ、2007年初夏にマスコミ向けに試写会が行われ、映画雑誌でロケ取材などの断片的な情報が入り始め、セットや広島ロケのスチールも何枚か出て、マスコミにも予告編や監督・キャストのインタビューが出たけど、期待と一抹の不安を持ったまま公開を待っていました。大手の配給の路線に乗れなかったとかで自分の住む香川県で上映もいまだできてませんが、実際に初めて見れたのは7月16日の基町のポップラの岸辺で行われた上映会だったです。
この日、佐々部監督も仮設スクリーンの前に出て「この映画を封切り前に一緒に映画作りを手伝ってくれた広島の皆様の前で上映できる事を誇りに思っています」と挨拶されました。
エキストラやいろんなお手伝いには被爆者でもあるお婆さんも出演して、広島の人たちにとっても思い出深い映画となっています。試写会に集まった人も「ああ、こんな街に住んどったんよ。懐かしいのう。」「こんな子、居ったねえ。」と聞えてくる広島言葉が耳にここちよい試写会でした。
http://4travel.jp/traveler/teshimadas/album/10164677/
「夕凪の街」
冒頭部で麻生皆実さんが歩く町は、かつて自分が住んだ広島の下町の段原の商店街(70年代末期)を思わせる雰囲気で、もう、これを見るだけで「わし、この街に確かに住んどった!」と思わせるものがあり、原作と比してどれだけ忠実度があるかとか、どうでもよくなって自然に映画の中に入って行けました。原爆スラムの造形も麻生皆実さんも藤村フジミさんも吉沢打越さんも秀逸でした。
「桜の国」
旭さん役がマチャアキさんである事を知った時は「???」でしたが、飄々としてとぼけた感じの演技が、田中七波さんや中越東子さんや伊崎旭さんや粟田京ちゃん・小池京ちゃんらと共にこの映画を巧くエンドに着陸させる誘導役になっとったと思います。あと、「髪留め」もある面主役級の働きをしていて、原作とは違った世界(自分には全てが懐かしい)へのゲートとなっていました。
自分が大好きな基町の岸辺に立つニセアカシアの木も自然界では忌み嫌われる外来植物であっても、植物の「主役級」の扱いで、これも嬉しかったです。
http://4travel.jp/traveler/teshimadas/pict/11155630/src.html
「漫画アクション」(原作掲載誌)の田中麗奈さんと作者のこうの史代さんとのインタビューで、こうのさんは「ああ、この話、知ってる。」と言われましたが、自分も「わし、確かにこの街見とった・・・」と、思わせてくれ、良い方に期待を裏切らせてくれた映画でした。
広島に住んだ日々、特に初めて広島の街を自転車で探検した30年前の世界へのゲートをこの映画で見つける事ができ、とても嬉しいです。
★旧陸軍被服廠跡(旧広大薫風寮跡)

★広電の路面電車

★皆実町中通商店街
2005年夏頃にこの映画の原作を本屋で見つけて読むごとに中に引き込まれて、未だに「中毒」症状のままです。
映画化進行中に、多くのファンから「本当に原作の雰囲気を壊さずちゃんと映画化できるんだろうか?」といった声が原作者のこうの史代のファンページ掲示板などで言われ、自分も少々不安になっていました。
2006年に監督やキャストが発表され、夏から撮影が広島と関東で進められ、2007年初夏にマスコミ向けに試写会が行われ、映画雑誌でロケ取材などの断片的な情報が入り始め、セットや広島ロケのスチールも何枚か出て、マスコミにも予告編や監督・キャストのインタビューが出たけど、期待と一抹の不安を持ったまま公開を待っていました。大手の配給の路線に乗れなかったとかで自分の住む香川県で上映もいまだできてませんが、実際に初めて見れたのは7月16日の基町のポップラの岸辺で行われた上映会だったです。
この日、佐々部監督も仮設スクリーンの前に出て「この映画を封切り前に一緒に映画作りを手伝ってくれた広島の皆様の前で上映できる事を誇りに思っています」と挨拶されました。
エキストラやいろんなお手伝いには被爆者でもあるお婆さんも出演して、広島の人たちにとっても思い出深い映画となっています。試写会に集まった人も「ああ、こんな街に住んどったんよ。懐かしいのう。」「こんな子、居ったねえ。」と聞えてくる広島言葉が耳にここちよい試写会でした。
http://4travel.jp/traveler/teshimadas/album/10164677/
「夕凪の街」
冒頭部で麻生皆実さんが歩く町は、かつて自分が住んだ広島の下町の段原の商店街(70年代末期)を思わせる雰囲気で、もう、これを見るだけで「わし、この街に確かに住んどった!」と思わせるものがあり、原作と比してどれだけ忠実度があるかとか、どうでもよくなって自然に映画の中に入って行けました。原爆スラムの造形も麻生皆実さんも藤村フジミさんも吉沢打越さんも秀逸でした。
「桜の国」
旭さん役がマチャアキさんである事を知った時は「???」でしたが、飄々としてとぼけた感じの演技が、田中七波さんや中越東子さんや伊崎旭さんや粟田京ちゃん・小池京ちゃんらと共にこの映画を巧くエンドに着陸させる誘導役になっとったと思います。あと、「髪留め」もある面主役級の働きをしていて、原作とは違った世界(自分には全てが懐かしい)へのゲートとなっていました。
自分が大好きな基町の岸辺に立つニセアカシアの木も自然界では忌み嫌われる外来植物であっても、植物の「主役級」の扱いで、これも嬉しかったです。
http://4travel.jp/traveler/teshimadas/pict/11155630/src.html
「漫画アクション」(原作掲載誌)の田中麗奈さんと作者のこうの史代さんとのインタビューで、こうのさんは「ああ、この話、知ってる。」と言われましたが、自分も「わし、確かにこの街見とった・・・」と、思わせてくれ、良い方に期待を裏切らせてくれた映画でした。
広島に住んだ日々、特に初めて広島の街を自転車で探検した30年前の世界へのゲートをこの映画で見つける事ができ、とても嬉しいです。
★旧陸軍被服廠跡(旧広大薫風寮跡)

★広電の路面電車

★皆実町中通商店街

2009年08月06日
ブックレビュー~「夕凪の街 桜の国」(こうの史代;双葉社)

76年の夏、浪人していた自分は、予備校の夏期講習で広島の街にひと月居ました。
荷物を三畳の貸間に拡げた時、椅子を持ってくるのを忘れたので、最初の夕方の散歩に出るついでに中古がないか、捜しに出ました。百m道路を越えて基町の本川の土手に自転車を乗り入れた時、嘗ての「原爆スラム」の最後の一軒が立ち退きに抵抗してまだ残ってバタ屋さんをやっていて、そこで小さい丸椅子を100円で売ってもらい、それと押入れの仕切りを机にして勉強した記憶があります。
翌年の春、どうにか合格できてまた椅子を買いにあの土手に自転車漕いでいきましたが、もうそこは立ち退きが完了して更地となり、公園にするための工事中でした。「じいちゃん、ありがとう。わし、100円の椅子で広大に勝てたけえ。立ち退きなんか跳ね返してがんばってください!」とお礼を云いに来たのに、茫然となって河岸に座り込んでしばし川面を見つめていました。
それから約三十年が経って、M脇書店で、ある漫画を手にしました。表紙に、見覚えのある原爆ドームと満開の桜の中を歩くヒロインの絵があって、たまらなく懐かしく、お金を払って全速力で自転車で帰って頁を繰りました。たった80頁の本の内容に引き込まれて読み進む内に、本川の原爆スラムの岸辺に座り込むヒロインの弟の50年前と現在の同じ河岸の俯瞰の時空を超えて対比した光景の頁に、グルグルと頭の中で廻っていくものを感じました。
あの河岸に77年春、自分も座り込んでいた、その頃の事が思い出され、懐かしさから涙がどっと出てきました。
今年もまた原爆忌がやってきて、あの夕凪の本川の河岸で座り込んでいた自分に戻るために、この漫画の頁を繰り、30年の時空を超える「グルグル」がやってきます。


2009年08月06日
暦 09/8
今月は桔梗です。
海のそばの崖の上でよく咲いています。

犬島貝塚でも咲いていました。8/6になってしまいましたが、広島や長崎の原爆で亡くなられた方々や、今も原爆症で辛い思いをされている方々、肉親や友達や恋人を亡くされた方々に、海風に揺れていたこの花を捧げます。
海のそばの崖の上でよく咲いています。

犬島貝塚でも咲いていました。8/6になってしまいましたが、広島や長崎の原爆で亡くなられた方々や、今も原爆症で辛い思いをされている方々、肉親や友達や恋人を亡くされた方々に、海風に揺れていたこの花を捧げます。
