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2009年02月07日
壇山開拓の歴史の証人
敗戦直後に壇山山頂の平坦部には20戸ほどの開拓農家が入植し、畑を拓いたり牛や鶏を飼ったりしていました。
畑を拓く時に出てきた石は平らな物はゴウラ石と呼ばれ、畑の横に積んでおいて時々石垣や塀などに使われました。
壇山の草刈りで出てきたゴウラ石の中には巧く組み合わせて祠にしていたのもあるそうです。
離農する人が多く、今は一軒だけしか残っていませんが、開拓の歴史の物言わぬ証人でもあります。

廃屋も何軒かありますが、雑木と草に覆われて緩やかに消えていこうとしています。

畑を拓く時に出てきた石は平らな物はゴウラ石と呼ばれ、畑の横に積んでおいて時々石垣や塀などに使われました。
壇山の草刈りで出てきたゴウラ石の中には巧く組み合わせて祠にしていたのもあるそうです。
離農する人が多く、今は一軒だけしか残っていませんが、開拓の歴史の物言わぬ証人でもあります。

廃屋も何軒かありますが、雑木と草に覆われて緩やかに消えていこうとしています。

Posted by 馬占山(Ma Zhanshan) at 22:25│Comments(0)
│里海画報
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